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コージィコーンモテル

読書とRPGを趣味とするエンジニアのblog

疑似体験による教訓のインプリンティング

読書

かの有名な湯川秀樹さんの著書、 『目に見えないもの』を通学・通勤中に少しづつ読んでます。

9割ほど読み終えたところなのでここまでの正直な感想を言うと、物理学者とは思えない(失礼かも)表現の豊かさと引き出しの多さに驚いています。前半はがっつり物理学の話で、内容としては高校や大学で聞いたことのある程度なんですが、独特な切り口が本当に面白い。宗教や哲学と織り交ぜながら考えることで、教科書・参考書で読んだときは無機質だった話が妙に彩られて頭に入ってきます。

人って様々なエリアを熟知するほど、共通点・比較点が見えてきたり、新しい視点が生まれたりして理解が深まるけど、湯川さんのそれは達人の領域。物理学という学問を何百もの方向から考えてきた人のみがなせる技なのではと思います。

ここまでべた褒めですが、3部ある中の1部目を読み終わると、湯川さんの自叙伝のような第2部に入るんですね。面白い物理学の話が突然おじさんの思い出話に変わるので、一度うろたえます。「物理の話はまだかな?」とか思いながらちょっと我慢して読み進めることになります。

ところが、気づくとこの本で一番心に残ってるのはこの第2部だったりするんですね。

生前父は私どもに別に訓戒めいたことはいわなかった。しかし父が折りに触れて人に語った言葉の幾つかが、いつとはなしに私の心に沁みこんでいる。父はよく「そんな杓子定規なことではいかん」といった。私は小さい時分には、なんでも細かいところまできちんとしなければ気が済まないたちであった。成長するに従って、こんなに小さなことに一々拘泥していては、とても大成出来ないと感じだした。そしていつも父の言葉を思い出しては、時分の気持にゆとりを与えることに努力してきた。それは同時に思考方法に融通性と柔軟性を賦与することを意味していた。自分の研究の行き詰まりの打開にも、これが始終役立ったのである。

「どうでも良いことにこだわるな」というどこにでもありそうな教訓なんですが、この本を読んだ後だと重さが違い、まるで自分で体験したかのように身に沁みます。こういった格言とか教えとかって、今の情報社会のそこらじゅうに蔓延していて、言ってることはもっともだと感じても、重みが全くないんですよね。結局実体験を通して痛感するまで身につかない。でもなるほど、こうやって描写されると、すごくしっくりきます。

適当な結論

形式にこだわりすぎてリファクタで1日を無駄にしないように。無理に完成された記事を書こうとして下書きばっかり積み上げないように、ということですね。